暇人のブログ

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理系大学生が日々思ったことを不定期で更新するブログ

ぼっちはコミュ障?個性的であることは百害あって一利なし|大学生はこうであるべきが嫌い4

どうも、ひまじんです。

 

大学生はこうであるべきが嫌いシリーズ第4弾です。

 

 僕は大学に入ってから一ヶ月完全にぼっちでした。それ以降は数人の友達ができ、2年生の終わりまで彼らとしか関わりませんでした。その後はいろいろあって友達が増えました。

 

さて今回は他の大学生よりもぼっちでいた期間が比較的長い僕が、大学で経験したことをもとに、大学をぼっちで過ごすということがどんなことなのかを話そうと思います。

 

 

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ちょっと今回のタイトルは言い過ぎましたね笑

 

でもあながち間違いではないかと思います。反論したい方もいるかもしれませんね。

 

まあつまり、あくまで僕の意見ですが、大学では友達を作った方が楽になります。

 

逆に友達がいないとそれだけ大変なんです。

 

2年生の終わりまで僕は、勉強を第一優先し、その他の時間も自分がやりたいことだけに使っていました。

 

僕は当時、個性的な自分に酔っていたのです。

 

でも大学ではそんな個性的な僕にとっては居心地のいいところではありませんでした。

 

当時の大学生活は退屈で肩身が狭く、何もうまくいっていませんでした。

 

そのうち精神的に限界がきて授業に出ることすらままならなくなってしまいました。(ibsという病気になっていたこともあって)

 

 

以下は当時の僕が受けていた講義に関する考察です。(ちょっと拗ねていたせいか、誇張しているのが恥ずかしい笑)

 

今あなたはある履修中の講義に出席してして、それを頑張りたいと思っていたとしましょう。

 

日に日に熱心に講義を受けるようになります。

 

ですが、どうも勉強を頑張っている人のはあなただけで、どうしてもまわりと温度差ができてしまいます。

 

あいつまじめだよなー的な扱いを受けます。

 

でも気にせずさらに頑張ります。

 

日に日に周りの人と心の距離があいてしまい、友達ともちょっとうまくいかなくなってしまい友達と一緒に居づらくなってしまいます。

 

とまあ、こんな感じです。

 

これはちょっとネガティブに考えすぎだよという指摘を受けるかもしれません。また実際はもう少しマシかもしれません。

 

しかし、学生の意識が低い大学では十分起こりうることです。

 

勉強はほかの人と相談しながら助け合ってやることで効率は格段に上がります。

 

ですが、自分と同じくらいの熱量で頑張っている人がいないと一人でやるしかありません。

 

わからなくても友達にきくことはできません。

 

実はこの相談相手がいないというのが最も辛いことなんです。

 

では教授に聞くのはどうでしょうか。きっと答えてはくれますが、大学の教授は自分がしたい研究に夢中で研究室の学生でもない限り学生の質問にはそこまで熱心に付き合ってはくれないのが現状です。(少なくとも僕の大学では)

 

学生にやる気がないなら教授もやる気がないのです。

 

ここまではあくまでぼっちになりうる一つのパターンで、大学ではいろんな理由でぼっちが生み出されます。

 

完全にぼっちでなくても一人で行動する時間が長い人もいます。

 

 またそんな彼らはコミュ障と呼ばれてしまうかもしれません。

 

最近よくコミュ障という言葉を聞きます。コミュ障とはコミュニケーション障害の略でコミュ力がない人づきあいが苦手な人たちが該当します。

 

さてここで議論したいのはコミュ力って何ということです。

 

コミュ力って誰かが決められることなんでしょうか?

 

コミュニケーションは双方の意思疎通であり、一人ではできません。

 

ある二人の人の間の会話がうまく行かまいときは、二人のどちらにも問題があると考えるのが普通です。

 

すこし言葉数が多い人だからといって、そっちの人のほうがコミュニケーション能力が高いと簡単に判断するのはナンセンスです。

 

僕が言いたいのは、ただあまりしゃべんないってだけでコミュ力がないと決めつけるのはいかがなものかと思います。(相手のせいであえて話さないという人もいます)

 

ですが、一般常識ではどうしてもコミュ力がある人というのは、みんなが知っていることを知っていて、好き嫌いの価値観が世間の基準とよく合う人だとしてしまいます。

 

これを大学生に当てはめると次のようになると思います。

 

僕が思う典型的なリア充大学生のイメージは、飲み会が好き、サークルで群れるのが好き、バイトを頑張ってる、常に友達と一緒に居て遊ぶのが大好き、流行りの歌を知っててカラオケでみんなと盛り上がり、ボーリングが得意、SNSを使いこなしているという感じです。(多少の偏見はお許しください)

 

じつは大学生はこうであるべきという人物像に近いか離れているかがコミュ力があるのかないのかの基準になってしまっています。

 

ところが当時の僕がやっていたことは、大部分の大学生たちとは合わないかったので、友達をたくさん作ることができなかったのです。

 

その証拠に3年生になってから考え方を変えたらすぐに友達ができました。

 

僕は個性的になろうとしていましたが、個性的であればあるほど状況は悪くなっていきました。

 

要するに個性的であることはなにもいいことはなかったんです。

 

ただこれはあくまで僕個人が体験したことです。

 

みなさんの周りの人たちには何の関係もないことなので、あまり大げさに解釈しないでくださいね。

 

次回は「なんのために留学するの?留学の本質とは|大学生はこうであるべきが嫌い5」です。