暇人のブログ

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理系大学生が日々思ったことを不定期で更新するブログ

ぼっちはコミュ障?個性的であることは百害あって一利なし|大学生はこうであるべきが嫌い4

どうも、ひまじんです。

 

大学生はこうであるべきが嫌いシリーズ第4弾です。

 

 

 

タイトルに反論したい方、どうぞ反論してください。

 

僕にとっては個性的であることがいきがいなので自分の生き方を変えるつもりはありません。個性的な人は話してて面白いですし、自分の知らないようなことをたくさん教えてくれます。

 

でも大学では個性的な人は強調性のない人間と思われてしまいます。肩身の狭い思いをしています。大学ではタフでないと個性的ではいられないんです。

 

例えば、あなたがある講義を受け、それを頑張りたいと思ったとしましょう。そして熱心に講義を受けるようになります。

 

が、どうも勉強を頑張っている人のはあなただけで、どうしてもまわりと温度差ができてしまいます。あいつまじめだよなー的な扱いを受けます。

 

でも気にせずさらに頑張ります。日に日に周りの人と心の距離があいてしまい、友達ともちょっとうまくいかなくなってしまい友達と一緒に居づらくなってしまいます。

 

 

これはちょっとネガティブに考えすぎだよという指摘を受けるかもしれません。また実際はもう少しマシかもしれません。

 

が、学生の意識が低い大学では十分起こりうることです。勉強はほかの人と相談しながら助け合ってやることで効率は格段に上がります。

 

ですが、自分と同じくらいの熱量で頑張っている人がいないと一人でやるしかありません。わからなくても友達にきくことはできません。

 

では教授に聞くのはどうでしょうか。きっと答えてはくれますが、大学の教授は自分がしたい研究に夢中で研究室の学生でもない限り学生の質問にはそこまで熱心に付き合ってはくれないのが現状です。学生にやる気がないなら教授もやる気がないのです。

 

ここまではあくまでぼっちになりうる一つのパターンで、大学ではいろんな理由でぼっちが生み出されます。完全にぼっちでなくても一人で行動する時間が長い人もいます。そしてそういった人たちは周りからコミュ障と考えられがちです。

 

 

最近よくコミュ障という言葉を聞きます。コミュ障とはコミュニケーション障害の略でコミュ力がない人づきあいが苦手な人たちが該当します。

 

でもコミュ力って誰かが決められることなんでしょうか?ただしゃべんないってだけでコミュ力がないと決めつけるのはいかがなものかと思います。

 

ではコミュ力がある人の定義を、常識をわきまえていて好き嫌いの価値観が世間一般的な基準とよく合う人だとします。

 

僕が思う典型的なリア充大学生のイメージは、飲み会が好き、サークルで群れるのが好き、バイトを頑張ってる、常に友達と一緒に居て遊ぶのが大好き、流行りの歌を知っててカラオケでみんなと盛り上がり、ボーリングが得意、SNSを使いこなしているという感じです。

 

じつは大学生はこうであるべきという人物像に近いか離れているかがコミュ力があるのかないのかの基準になってしまっています。少なくとも僕はそうだと思います。

 

自分のやりたいことをやる人は、大部分の人たちとは話が合わないし、友達をたくさん作れなくなってしまいます。結局、個性的であることはちっともプラスにはならないんです。

 

 

次回は「なんのために留学するの?留学の本質とは|大学生はこうであるべきが嫌い5」です。