暇人のブログ

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理系大学生が日々思ったことを不定期で更新するブログ

人見知りを克服するということ

 

どうも、ひまじんです。

 

今年の夏は雨の日が多いですね。お出かけの予定が立てづらくて困っちゃいます。

 

 

 

そんな中、ぼくは特に忙しかったわけでもないのに、長い間このブログを放置してしまいました。

 

なんかすみません。

 

まあ大学の期末試験とかサークルの合宿?とかいろいろあったので、、、といいわけしておきます。

 

 

 

それにしてもパソコンに向かって文字を打っているのがなんだかすごくなつかしく感じますね。

 

こころなしかもともと遅かったタイピングスピードがさらに落ちたようなきがするし、、、

 

 

 

 

さて、みなさんはいかがお過ごしだったでしょうか。

 

 

大学生のみなさんはきっとバイトをたくさん入れてることでしょう!特に夏休みは稼ぎ時なんでね。

 

 

バイト嫌いのぼくは相変わらず一人でプラプラしていました。典型的なダメ大学生です。

 

 

では前置きはこのくらいにして、本題に移りたいと思います。

 

ぼくはさいきんこんなことを思うようになりました。

 

「俺むかしは人見知りだったのに、いまは初対面の人でもへいきになったなあ」

 

 

 

べつに特別何か変わったわけではなく、おしゃべりがうまくなったということでもないんですが、ばくぜんと知らない人に合うことに対する恐怖心のようなものは感じなくなりました。

 

というわけで今回は人見知りについてです。

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今日はぼくが人見知りを克服した経緯を説明すために、ちょっと長く自分語りをさせていただきます。お許しください。

 

 

 

 

 

 

ぼくが自分が人見知りだった時期は

 

小学校4年生あたりからはじまり、大学2年生までです。(長っw)

 

現在大学3年生なのでついこの間までは自分が人見知りであると思っていたんです。

 

 

ぼくの人見知りが始まったきっかけについては、まず、小学校4年生のころあたりから休み時間に一人でいることが多くなり、自分から話しかけないと友達がいなくなっていくことを感じました。

 

原因は周りの友達がやっているはやりものとかについていけなかったこととか習い事を何もしていなかったことでした。

 

最初は頑張って周りに話しかけたりしていましたが、徐々になんか違うなと思い始めて、すこしずつ自分の殻に閉じこもっていきました。

 

それでも気まぐれで話しかけてくれる気分屋の子とたまに話したりしてなんとかすごしていました。

 

中学のころは学級委員をやったり、合唱祭のクラスリーダーをやったりして役職について常に忙しくして、人間関係をごまかしていました。

 

それでも休み時間とかちょっとした瞬間に決まって話す人が自分にはいない状態で、常に孤独感がありました。

 

この時期を経てだんだん周りの人に話しかけるのが苦手になってしまいました。

 

 

 

なんだか暗くなってしまいましたね(笑)

 

べつにいじめられたとかはなかったので楽しい思い出とかもちゃんとあるしそれなりに充実はしていましたよ。

 

ただ何とも言えない疎外感に身を置いていたせいか、「このままだと俺の人生ずっと一人になっちゃう」という危機感があって、

 

なんとか自分を変えなきゃなと思ってました。

 

 

その勢いで高校でデビューをしてしまいました。

 

中学までの真面目キャラは捨てて、バスケ部の体育会系キャラにシフトチェンジしたのです(中学のころもバスケ部でした)。

 

もちろんいろいろとキャラ的に無理があるので、たくさん恥ずかしいことをしました。今思い出すだけで顔から火がでます(笑)。

 

この苦行を3年間続けましたが、結論から言うと高校デビューは失敗しました。

 

ぼくはある面白いやつ(Aとします)と友達になったつもりでいました。

 

卒業式の前日にコンビニの前でAにあって、話しかけたら、隣にいたAの友達に「こいつつまんねぇんだよ」と言ったのです。

 

とても情けないですが、むかしから面白いことをしてきた人からすると中途半端にキョロ充をやってきたぼくのがんばりはみえすいていて、おもしろくなかったようです。

 

おそらくほかの人たちにも同様に思われていたことでしょう。

 

こうしてぼくの高校生活は終わりました。

 

卒業後は浪人してまた自分の殻にとじこもり、人生で人見知りがピークの状態で大学に入りました。

 

大学では勉強を頑張ることで周りと距離を置く自分を正当化していました。

 

大学では自由な時間がたくさんあるので友達が少なかった僕は一人でよく考えごとをしていました。

 

そして自分がなぜこうも人見知りなのかということについてようやく考えるようになりました。

 

 

人見知りになるのは人それぞれの原因があり、これは各々の人生経験に基づくものです。

 

自分の人見知りを治すにはまずその原因を探ろうと思ったのです。

 

 思い当たる節がありました。

 

大学1,2年生の時に僕が人見知りだった理由は周りの人たちを否定していることでした

 

「自分の考え方とあの人たちの考え方は違うから、あの人たちとは一生わかりあえない」とかって決めつけていました。

 

 

 

それからしばらくたって、3年生になって実験をするときに、彼らと同じ班になりました。

 

ぼくはあいかわらずふてくされていましたが、実験なので、業務的な会話から少しずつするようになっていきました。

 

彼らと話していてぼくはこんなことに気づきました。

 

「みんなそれぞれが、全然違うキャラで個性的だ!」

 

あるひとはゲーム大好きで時間にルーズ

 

あるひとはまじめで授業は全部出席して、ノートを必ず取る

 

あるひとはサークルの代表をやっている

 

またあるひとはバイトに明け暮れている

 

など

 

僕はそんな彼らを「あの人たち」とひとくくりにしていました

 

しかし実際はそれぞれが全く違う個性をもっていたのです。

 

実際に話してみて初めてこう気づくことができました。

 

 

あたりまえですが、ぼくが敵視していた「あの人たち」はみんな同じなわけがありません。

 

彼らのグループの中でもいろいろなキャラがいるはずです。

 

でも長年積み重ねてきた嫌な経験と変なプライドが邪魔して彼らを理解するだけの心の余裕がなかったのです。

 

 

 

こうしてこれ以降は、むやみに人を拒否することはばかばかしいと考えるようになりました。

 

これがぼくが人見知りを克服した経緯です。

 

 

 

 

それではここからは、人見知りを克服すべきかどうかについてぼくの意見を述べさせていただきます。

 

 

どんな社会にも人見知りの人はいます。

 

そこで人見知りを2つの種類に分類したいと思います。

 

 

たまたま彼らの価値観や感性が、所属する社会のものと合わなかった場合と、

 

他人に対して興味を持てない場合です。

 

 

ぼくは前者の人見知りでした。

 

そして僕の経験上、このタイプの人は人見知りを克服することはできます

 

他人と無理しない程度にかかわって自分が理解できるひとをすこしずつふやしてみてください。

 

他人と価値観が違うためにどうしても共同作業ができないなら無理をせず、自分は一歩引いてみるといいかも知れません。

 

 

では後者の方の人見知りだったらどうでしょうか。

 

ぼくはこれまでなんにんかこのタイプの人見知りのひとに合ったことはありますが、おそらく僕が上で提案した方法では克服できないでしょう。

 

むりに人と関わろうとするとそれが本人にとってストレスになってしまうかもしれません。

 

このような人たちにとっての人見知り克服はもうすこしハードルを下げるべきでしょう。

 

たとえば無理なくかかわれる人に限定して人づきあいをしていくというのはどうでしょうか。友達は多ければいいというわけではないですからね。

 

 

 

 

 

 

ところで人見知りは必ずしも克服する必要があるのでしょうか。

 

人と関わることが上手になればある程度社会で生きていくうえでストレスは減りますが、、、、

 

もし仮に自分の生き方がはっきりしていてそれを貫くために人と関わらない方がよいというならそのままでよいでしょう。

 

ただ僕にはそこまで強い信念のようなものはないですね。